「国立天文台が財政難というのは大げさでは? 予算はずっと横ばいで、減っていないはずだ」——そう感じている方も、きっといらっしゃると思います。このページは、その疑問を否定するところからは始めません。むしろ、その通りである部分を、まず認めるところから始めます。そのうえで、公開データと公式記録が示している「横ばいの線の内側」を、順番にご紹介します。
「NAOJの予算は横ばい。財政難というのは嘘だ」
——はい。名目の総予算は、この10年ほぼ横ばいです。下のグラフの通り、国立天文台の総予算は120億円台を保っており、「予算が急減した」という事実はありません。ここまでは、この疑問を持つ方の見立てが正しいのです。
問題は、この「横ばい」が何を意味するかです。物価と電気代が上がり、円が安くなった10年間に、金額が同じままだったとしたら——それは実質的に何を買える予算になったのか。線の平らさの内側で起きてきたことを、ここから見ていきます。
1.横ばいの線を、まず自分の目で
名目では、たしかにほぼ横ばいです。——ただし縦軸は0から始めています。ごまかしのないこの線が、出発点です。
| 年度 | 2017 | 2018 | 2019 | 2020 | 2021 | 2022 | 2023 | 2024 | 2025 | 2026 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 総予算 | 約122 | 約128 | 約156 | 約129 | 約134 | 約123 | 約128 | 約128 | 約123 | 約119.4 |
※ 2024年度の「総予算」は集計範囲により複数の数字が存在します。上記の約128億円は報道・年次報告ベースの数字で、NAOJが公表する決算(収入)ベースでは施設整備費補助金や引当特定資産取崩を含め約137億円となります。いずれも公開資料に基づく数字であり、「何を予算に含めるか」の違いによるものです。
それでは、この横ばいの線の内側で何が起きていたのでしょうか。構造は3つあります。
① 同じ金額で、買えるものが減った
この10年、物価高・電気代の高騰・円安が進みました。望遠鏡の電力も、海外協力プロジェクトの支払いも、すべて割高に。名目が同じなら、実質は目減りです。
② 人件費が先に、研究費があとに
NAOJの運営費交付金(フロンティア予算を除く)は約61〜62億円(2018〜2020年度)。その大部分を人件費が占め、研究プロジェクトに使える物件費が年々圧迫される構造です。
③ 「本体」の交付金は制度的に減り続けた
国立大学法人等を支える運営費交付金の全体は、後述のとおり法人化以降に大きく減少しました。天文台だけを切り離しては見えない、土台の話です。
2.土台の話——運営費交付金は、制度として減ってきた
国立天文台を含む国立大学法人等の基盤を支える「運営費交付金」は、法人化された2004年度から一貫して減り続けてきました。これは天文台単独の数字ではなく、日本の学術の土台全体の数字です。
2004年度 1兆2,415億円 → 2024年度 1兆784億円(約1,631億円の減少)
物価上昇を考慮した実質ベースでは、18〜20%程度の削減と試算されます。
「機能強化促進係数」により毎年1.6%ずつ機械的に削減される仕組みが続き、国立大学協会は2024年6月、「もう限界」とする声明を発表しました。日本の高等教育への公的支出はGDP比0.5%で、OECD加盟国中最低水準です。なお2026年度は9年ぶりに増額されました(+188億円、+2%、1兆971億円)。
「基礎研究は選択と集中が馴染みづらい。何がどう発展するか読めない。特に大発見はそもそも予想できないから大発見になる。いつどこで何が芽が出るか予想できない。」本間希樹(国立天文台 水沢VLBI観測所長)/ABEMA Prime「【国立天文台×ブラックホール】資金難?若手研究者の流出危惧?」(2025年8月30日)より
なぜ交付金は減り続けるのか。本間所長はこの構造を、財務省が掲げる「選択と集中」——成果が見込めそうな分野にお金を集中させる方針——が、成果を予測できない基礎研究とは馴染みづらいからだと説明しています。
3.現場の話——水沢VLBI観測所で起きたこと
「全体としては横ばい」でも、その内側の配分は動きます。もっとも大きく削られたのが、人類史上初のブラックホール撮影にも貢献した、岩手県奥州市の水沢VLBI観測所でした。
2015年度 約4億円 → 2025年度 約2億円(10年で半減)。
特に2020年度は約1.5億円と、前年度(2019年度 約3億円)から一気に半分に。うち人件費が約1億円を占め、観測の運営に回せたのは約5,000万円でした。
予算が削られると、現場では具体的に何が起きるのか。本間所長への取材では、こんな実例が語られています。
望遠鏡の保守を、自前に
保守コストの大きさから、メーカーによる保守をやめ、観測所自身で保守するよう変更。保守の回数を減らした結果、3号アンテナがトラブルを起こし、約1年近く観測に使えなくなりました。
スパコン「アテルイ」も、運転時間を検討
天文学専用として世界最高速レベルの性能を持つスーパーコンピューター「アテルイ」。電気代の高騰により、運転時間を減らす検討がなされるところまで追い込まれています。
蛍光灯の間引き、清掃の削減
光熱費削減のための蛍光灯の間引きや、清掃・備品の削減など、現場では地道な節約が積み重ねられています。
この削減がどのように決められたのかは、NAOJ運営会議の下に正式に設置された公式委員会の報告書に、時系列で記録されています。
「予算決定の手続きの不透明性、及び水沢VLBI観測所に対して説明責任を果たしていないことは、執行部の対応として不適切であった。」出典:NAOJ コミュニティ間意思疎通推進委員会 報告書「我が国の天文学の発展のために」(令和2年12月1日)セクション3.4.1 p.8-9より
4.財政が健全な組織で、これは起きるでしょうか
数字の解釈には、いろいろな立場がありえます。けれど、実際に起きた出来事そのものは、解釈では動きません。次の事実を、ひとつずつご覧ください。
Q. 健全な組織で、若手研究者がゼロのまま2年間放置されるでしょうか
水沢VLBI観測所では、ポスドク(若手研究員)がゼロの状態が約2年間続きました(2020年頃〜)。2022年にNAOJ初のクラウドファンディングが実施され、目標1,000万円に対し3,000万円超(1,256名)が集まります。本間希樹所長はこう述べました——「ポスドクを1人雇うことができます。2年前からゼロ人だったところから、1人になるということは大きい」。
Q. 健全な組織の観測所を、地元自治体がクラファンで応援するでしょうか
長野県の野辺山宇宙電波観測所(1982年開所、45m電波望遠鏡)は、財政難により宿泊施設を備えた本館を閉鎖し、契約研究員の削減や、見学の有料ガイドツアー化を進めてきました。1%単位で削減が積み重なっていく予算編成の様子や、若手研究者の不安、軍事研究の検討をめぐる報道への所長の反応は、テレビ信州制作のドキュメンタリー「カネのない宇宙人 閉鎖危機に揺れる野辺山観測所」(2019年度ギャラクシー賞テレビ部門大賞受賞)に記録されています。2020年には地元の南牧村がCAMPFIREで応援クラウドファンディングを行いました。
その後も縮小傾向は続いていますが、金曜ロードショーで放送された名探偵コナン劇場版に野辺山観測所が登場したことをきっかけに、見学者・寄付が急増。2025年度の入場者数は16.6万人、前年比3.5倍という報告があり、今年度は職員が1人増えました。それでもなお、10人に満たない小さな観測所です。
「国立天文台に勤務できると決まった時、これで毎日、宇宙観測と研究をやって暮らせる!と思っていた。しかし実際にやっていたのは、財政をどうするかばかりだった。」
国立天文台の施設は、大学や研究機関の共同利用が前提のため、本来は無料で使えることが当たり前でした。海外から訪れる研究者も、渡航費まで含めて無料だったといいます。しかし経費削減によってそれも維持できなくなり、施設を維持・再開するためには有料化するしかありませんでした。「閉鎖、閉鎖」——経費削減のためにできることは、ありとあらゆる手段がとられ、人員削減はもちろん、削れるものはすべて削られていきました。
証言:立松健一氏(国立天文台 名誉教授・野辺山宇宙電波観測所 前所長)/三鷹ネットワーク大学「アストロミーパブ」第213回「閉鎖危機報道、そして野辺山での8年間の闘い」(2026年1月17日)にて、友子が直接聴講した内容の記録。当日資料の配布はなく、記憶に基づく記録です。Q. 健全な組織の本部で、食堂が10ヶ月も閉まったままになるでしょうか
三鷹キャンパスの食堂は2025年8月8日に閉店。約10ヶ月間、キャンパス内に食事のできる施設がない状態が続きました(周辺は飲食店の少ない立地です)。2026年6月8日にようやく再開したものの、営業時間は11:40〜13:15のわずか1時間35分、支払いは現金のみ。日本の天文学研究の中枢の、これが現在の姿です。
Q. 健全な国立機関が、SNSで寄付を呼びかけるでしょうか
2025年5月14日、NAOJ公式Xが「国立天文台基金」への寄付を呼びかけると、1.1万リポストを超えて拡散。「国立の機関が寄付を募る必要があるのか」と、国の予算配分への批判が殺到しました。
Q. そして、人は減っていないでしょうか
職員数は2024年4月の526名から2026年4月には514名へ、2年間で12名減。うち研究者は約半数(約250名)です。本間所長は「予算削減時は任期付きのポジションから減らすことになる。若手が生き残れないのは大きな問題」と語っています。
5.「財政難」は、誰が言っているのか
最後に、いちばん大切なことを。「逼迫する財政」という認定は、市民団体の主張でも、報道の見出しでもありません。NAOJ運営会議の下に正式設置された公式委員会——元台長2名を含む天文学界の重鎮7名(委員長:觀山正見・元国立天文台台長)が、36回の会合を経てまとめた報告書の言葉です。
「逼迫する財政の中で迅速な決断を迫られていることが背景にあるが、丁寧な説明や協議を飛ばして決断するという不適切なトップダウンマネジメントの手法を多用した。」出典:NAOJ コミュニティ間意思疎通推進委員会 報告書「我が国の天文学の発展のために」(令和2年12月1日)p.3-4より
財政の逼迫は、組織の内部からも公式に記録されている——これが、公開資料が示している事実です。
6.それは、削るほどの金額なのでしょうか
国立天文台の1年分の総予算(2026年度)は約119.4億円。国民一人あたりに直すと、年間およそ97円です(試算:人口約1.23億人で計算)。国の予算のなかでの大きさを、同じ2026年度の防衛費と並べてみます。
※ 実際の比率では黄色のバーは細すぎて見えないため、視認できる最低限の幅で表示しています。
※ 防衛費の増額と科学予算の削減のあいだに直接的な財源のトレードオフがあるかは、慎重な議論が必要です。ここでは政策的な優先順位を可視化するために、数字を並置しています。
海外との比較では、欧州16カ国が共同運営するESOの年間予算は約260億円(職員750名超)、米国NSFの天文学部門は約450〜600億円。NAOJは約119億円(514名)で、すばる望遠鏡・ALMA・TMTといった国際最前線の施設を支えています。※機関ごとに予算の範囲・定義が異なるため(ESOは研究者人件費を加盟国が負担、NAOJは含む等)、厳密な比較は困難です。規模感の参考としてご覧ください。
7.自分で稼ぐしかない——産学連携という活路
財政難のなか、国立天文台は「国立天文台産業連携室(ILO)」を窓口に、望遠鏡開発で培った技術を企業に提供する動きを強めています。学術相談・共同研究・受託研究といった制度を通じて、天文学のための技術を社会実装へとつなげる——「国立」の研究機関が、自ら稼ぐ手段を模索しているという側面が見えてきます。
「ポケモン天文台」(株式会社ポケモン)
2025年11月、相模原市立博物館を皮切りに開幕した巡回企画展。JAXAも協力し、約3年かけて全国を巡回予定。土居守台長は「天文台の象徴的な企画になる」と発言しています。
宇宙スタートアップ・ALEとの共同研究
2021年、民間気象衛星向け小型マイクロ波サウンダーの開発に関する共同研究契約を締結。産業連携室を通じた、企業との技術連携の一例です。
「予算は横ばい」——その通りでした。けれど、横ばいの線の内側では、買えるものが減り、研究に回せるお金が細り、若手のポストが消え、観測所の本館が閉じ、本部の食堂が10ヶ月止まり、公式委員会が「逼迫する財政」と記録していました。
線が平らであることと、現場が健全であることは、同じではありません。このページの数字と出来事は、すべて公開資料で確認できます。どうぞ、出典から直接お確かめください。——三鷹の森と星空の未来を考えるための、それが出発点になると信じています。
※ このページの数値は、いずれも公開資料・報道にもとづくものです。金額は年度・資料により端数処理が異なる場合があります。増減の表記は「◯%減」に統一しています。物価調整後の実質推移グラフは、統計データの検証を経たうえで追加予定です。